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満員電車は、もはや日本社会の風景として定着している。だが、それは決して自然発生したものではない。政策、都市設計、労働慣行、そして「耐えることを美徳とする文化」が積み重なった結果として生まれた、人工的な異常空間である。
人間が身動きも取れないほど密集し、互いの身体が強制的に接触する環境は、本来ならば緊急事態として扱われるべきだ。にもかかわらず、通勤時間帯の電車ではそれが毎日、計画的に再現されている。ここでは接触感染が前提条件となり、つり革や手すりは細菌とウィルスの中継地点と化す。
さらに悪質なのは、空気感染のリスクが構造的に無視されている点だ。換気能力には限界があり、咳やくしゃみ一つで、病原体は密閉された車内を瞬時に循環する。それでも社会は「マスクをすれば問題ない」「個人の注意で防げる」と責任を個人に転嫁し続けてきた。
しかし現実には、満員電車という環境そのものが、個人の努力を無効化する。どれほど注意していても、呼吸は止められないし、他人の身体との接触を拒否することもできない。ここで起きる感染は、個人のモラルの問題ではなく、設計された構造の問題である。
それでも満員電車が維持される理由は明白だ。企業にとっては効率的で、行政にとっては安価で、社会全体としては「変えなくて済む」からである。その代償として、通勤者は毎日、細菌とウィルスが漂う空間に身を投げ出し、体調不良や感染リスクを自己責任として引き受けさせられている。
この構造の最も危険な点は、異常が日常化してしまったことだ。人々は息苦しさや体調不安を感じながらも、それを疑問にすら思わなくなっている。満員電車は、単なる交通問題ではない。それは人間を消耗品として扱う社会の縮図であり、効率のために健康を切り捨てる価値観の結晶である。
満員電車は「仕方がない」のではない。仕方がないことにしてきた結果、ここまで放置されてきただけだ。異常を異常として認識し直し、社会の側が責任を引き受けない限り、この集団感染空間は、今日も明日も再生産され続けるだろう。
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