Japanese | English
– 死が世界に還るとき –
死は、終わりではない。
それは生きものにとって、もっとも静かな始まりでもある。
森の中で一匹の動物が息を引き取ったとき、その瞬間に「生命の不在」が生まれるわけではない。体温が下がり、筋肉が緩み、皮膚の内側では、すでに別の生命が動き出している。目に見えない微生物たちは、死を合図に増殖を始め、かつて一個体を形づくっていた物質を、ゆっくりとほどいていく。
この連なりを、腐食連鎖と呼ぶ。
それは捕食のように劇的ではない。
追跡も、闘争も、血の気配もない。
しかし、この静かな連鎖こそが、生態系を最も根底で支えている。
腐食連鎖は、単一の出来事ではない。
死を起点として、微生物による分解、腐食者の活動、化学的無機化、そして再同化へと連なる、構造化された循環過程である。

この連鎖の主役は、大型の腐食者ではない。
ハゲワシでも、甲虫でもない。
最後まで仕事をやり遂げるのは、細菌と真菌だ。
彼らは、死体を「死」として扱わない。
それはただの有機物であり、炭素であり、窒素であり、再利用可能な資源にすぎない。
骨も、皮膚も、内臓も、例外なく分解され、土へ、水へ、空気へと散っていく。
この過程に、善悪はない。
あるのは、徹底した循環だけだ。
自然界では、死体がそのまま放置されることはない。
必ず何かが触れ、侵入し、食べ、壊す。
それは残酷に見えるかもしれないが、もし誰も死体に触れなければ、世界は死で満ちてしまうだろう。
腐食連鎖とは、死を回収するための仕組みなのだ。
しかし、人間はこの連鎖から距離を取り始めた。
アスファルトは土を覆い、死体と分解者の接触を断つ。
消毒と殺菌は、微生物を排除する。
死は管理され、隔離され、見えない場所へ運ばれる。
その結果、死は循環しなくなった。
ただ「処理されるもの」になった。
土に触れられない死は、還る場所を失う。
腐食連鎖が断たれた場所では、生命の流れもまた滞る。
それは生態系の歪みとして、やがて別の形で表面化する。
腐食連鎖は、世界の免疫系だ。
死が適切に分解され、拡散し、再構成されることで、生態系は過剰を防ぎ、均衡を保つ。
死を拒む環境ほど、不安定になるのは皮肉なことではない。
私たちは生きている限り、必ずこの連鎖の一部になる。
それを意識することは少ないが、例外は存在しない。
死は終わりではない。
それは、世界に返却される瞬間だ。
腐食連鎖は、生命に対する自然からの最後の敬意なのかもしれない。
何ひとつ無駄にせず、すべてを次へ渡していくための、静かな約束として。
コメント