人間と飼い猫の関係

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– 癒されているのは、圧倒的に人間である –

人はよく言う。
「猫に癒される」と。

だが、冷静にこの関係を眺めてみると、そこには対称性はほとんど存在しない。
癒されているのは、どう考えても人間の側である。

飼い猫は、こちらを気遣うわけでも、機嫌を取るわけでもない。
呼んでも来ないことは日常で、構えば逃げ、放っておけば突然近づいてくる。
人間の都合や感情など、基本的には関知しない。

それでも人は、その姿に安らぎを見出す。

猫は、人間のために振る舞っていない。
癒す目的も、慰める意図も持たない。
ただ、生き物として「そこにいる」だけである。

人間が感じている癒しとは、猫が与えているものではない。
人間が勝手に受け取っているものだ。

丸くなって眠る姿。
無防備に腹を見せる瞬間。
気まぐれに喉を鳴らす音。

それらはすべて、猫が生き延びるために進化の過程で獲得してきた振る舞いであり、人間を喜ばせるための演出ではない。
それでも人は、そこに意味を読み込み、感情を重ね、「癒されている」と感じる。

この非対称性こそが、人と猫の関係の本質である。

人間は、猫を「飼っている」と言う。
だが実際には、猫の生活圏に人間が入り込み、食事と安全を提供する代わりに、精神的な安定を得ているにすぎない。
猫は人間に依存しているように見えて、その内面は驚くほど自立している。

一方、人間はどうだろうか。

孤独、不安、疲労、過剰な情報。
それらを抱えたまま、猫の沈黙と無関心に救われている。
何も要求されず、評価もされず、理解される必要もない存在が、そばにいること自体が、すでに救いになっている。

猫は、人間を肯定もしなければ否定もしない。
ただ、気が向いたときだけ隣に座る。

その距離感が、人間には耐えがたいほど心地よい。

考えてみれば、猫にとって人間は「癒しの存在」である必要はない。
食事があり、寒さと危険から守られ、最低限の干渉で済むなら、それで十分だ。

それでも人間は、この関係を「共生」と呼びたがる。
そこに対等さを見出そうとする。

しかし、癒されているのがどちらかと問われれば、答えは明白である。

猫は変わらない。
変わっているのは、人間のほうだ。

自分を支えてくれる何かを、言葉を持たない生き物に投影し、
その沈黙に救われている。

人と飼い猫の関係とは、
「癒してもらっている」のではなく、
「癒されてしまっている」関係なのだ。

それでも猫は、何も知らない。
それでいい。

それこそが、人間にとって最も深い癒しなのだから。

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